土の器

宮本牧師のブログ

ずっといっしょに

ヨハネとペトロの兄弟アンデレとがイエスの最初の弟子となった日のことです。「何を求めているのか」と尋ねられた彼らは、こう答えます。「ラビ、どこに泊まられる(ギリシア語で「メノー」)のですか。」イエスは「来なさい。そうすればわかる」と答えました。「そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられる(これも「メノー」)かを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった(これも「メノー」)。午後四時ごろのことであった。」 年老いてこの福音書を記すもう一人の弟子ヨハネは、その日その時のことを証ししています。リビングバイブルの訳は素敵です。「その日は、それからずっと、イエスといっしょにいました。」その日から、ずっと、イエスといっしょにいることが彼のライフワークとなりました。「ずっと」です。「メノー(とどまる)」という言葉は、「点」で表わす言葉ではなく、「線」で表わすべき言葉です。それは「継続すること」を意味します。一時的な交わりではなく、継続する交わりです。それから「ずっとイエスといっしょにいました」という交わりです。それは、私たちの願いでもありますが、イエスが望まれた交わりでもありました。イエスはこう祈られました。「父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです」と。 個人的な聖霊バプテスマの体験を書いた「朝の九時」という有名な本がありますが、そのタイトルを借りるなら、ヨハネが体験したイエスとの人生を変える出会いは「午後四時の体験」と言えるでしょう。一度限りの人生を、あなたはどう生きようとしているのですか。人生の価値は、地位や名誉、財産によってはかられるのではありません。神と出会い、神ご自身を体験し、神の愛のただ中に生きる一瞬一瞬に価値があるのです。