土の器

宮本牧師のブログ

おどろきをもって

ドイツの詩人であり作家でもあるヘルマン・ヘッセが「蝶」という書物の中で、こんなことを書いています。「おどろきをもって始まり、おどろきをもって終わる。・・・おどろきこそ、認識の第一歩であり、同時に畏敬の念をおぼえる第一歩なのです。」彼は、「驚嘆するために私は存在する」と言ったゲーテの言葉を引用し、自然の美や仕組みに驚嘆し、引きつけられることがいかにすばらしいことであるかを説いていきます。 新しい年が明けました。この一年が、「驚きをもって始まり、驚きをもって終わる」、そんな驚きの年となりますように。シバの女王は、ソロモンが「主の神殿でささげる礼拝を見て、息も止まるような思いであった」と書かれていますが、私たちが毎週ささげる礼拝が、驚きと感動にあふれたものとなることを祈ります。 今年の年間標語の御言葉は、ヨハネによる福音書の15章4節、「わたしにつながっていなさい」ですが、「つながる」という言葉は、ヨハネ神学を解く鍵です。ギリシア語では「メノー」という言葉が使われますが、ヨハネはこの言葉を好んで用いています。15章だけでも10回、ヨハネ福音書全体では38回も使われている言葉です。ちなみに、新約聖書全体で112回使われていますが、そのうちヨハネ福音書で38回、手紙で23回、合わせて61回も使っています。ある時は、「泊まる」と訳され、ある時は「つながる」と訳され、ある時は「とどまる」と訳され、父なる神と御子イエスとの密接不可分の関係を、さらには、私たちとキリストとの親しい交わりを表す特別な言葉として用いられるのがメノーです。 ヨハネはイエスと出会った日のことを、こう伝えています。1章38節以下、彼らが・・・「ラビ、どこに泊まられるのですか(メノー)」と言うと、イエスは「来なさい。そうすればわかる」と言われた。彼らはイエスについて行って、どこにイエスが泊まっておられる(メノー)かを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった(メノー)。 リビングバイブルは最後の部分を「それからずっとイエスといっしょにいました」と上手く訳しています。その日から、イエスのもとにとどまることが、彼の生活の一部となりました。ヨハネは、常に主の御胸に寄りかかり、そこを生涯の指定席としたのです。やがて、その日から始まったイエスとの親しい交わりは、ボアネルゲス(雷の子)とあだ名を付けられるほど激しい気性の持ち主であった彼を、最もキリストに似た愛の人へと変えていきました。「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。」まさに驚きの交わりです。 今週も大切なことを大切に。