土の器

宮本牧師のブログ

まだ信じないのか

エスの澄んだ声が嵐の湖面に響いた瞬間、雨雲は山の彼方に走り去り、まぶしいほどの光が辺りを包みました。鏡のような湖面には神々しいイエスの姿が映し出されます。弟子たちは嵐が静まったとき、嵐の中にいたときよりも、さらに大きな畏れに心を打たれました。「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と。 嵐の中にいた時、イエスは弟子たちに言われました。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ」と。同じ言葉をマルコは「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」と記しています。マルコはこれをどんな気持ちでこの言葉を書いたのでしょう。ペトロからも、パウロからも愛された彼でしたが、その福音書を書いている頃、二人は彼のそばにいませんでした。マルコは心細かったかもしれません。ですから、自らに言い聞かせるような思いでこの言葉を記したのではないでしょうか。「まだ信じないのか。」きっとマタイも同じような気持ちで、胸に手をあてながら、この箇所を記したのだと思います。「信仰の薄い者よ。あなたの信仰はどこにあるのか」と。嵐に翻弄され、今にも転覆しそうな舟の中で、弟子たちにできたことは、ただイエスのもとに走り行き、イエスを揺さぶり起こすことだけでした。今日、あなたが嵐の中にあるのなら、イエスのもとに行ってください。 今日は午前中、松阪で聖書講座が持たれました。嵐に見舞われるような状況にある方々が集われていましたが、御言葉を語りながら、誰彼ではなく、自分の信仰が問われているよう感じました。