心を騒がせないでもよい理由
十字架の前夜、最後の晩餐の席上でのことです。イエスは弟子たちに、最後の教えを語り始められました。それはヨハネだけが記す、14章から17章までのかなり長い説教です。実際には、食事の後、ゲッセマネの園に移動する時間も含め、ある部分は弟子たちとの問答であり、ある部分はイエスの祈りになっています。
弟子たちは、その夜、いつもとは明らかにちがうイエスの様子と話題、ただならぬ物言いに動揺し、混乱していました。そんな彼らに、イエスは「心を騒がせるな」と語られたのです。1節から3節までに、心を騒がせないでもよい理由が3つ書かれています。
1つ目は1節、「神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」どんな時にも平安(Peace)でいられる秘訣は、神への信頼、信仰です。たとえ世の嵐が襲ってきても、平安そのものであるイエスがあなたの神だから、心を騒がせないでもよいのです。2つ目は2節、「あなたがたのために場所を用意しに行く。」居場所(Place)が用意されているという安心感です。これは天国の希望でもあります。3つ目は3節、「戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。」このままで終わらない、必ずイエスが来て迎えてくださるという大いなる約束(Promise)があるので、もう心を騒がせなくてもよいのです。
イエスはこの3つのP、Peace(平安)、Place(場所)、Promise(約束)を弟子たちに示して、心を騒がせなくてもいいと言われました。不安や心配がなくなるというのではなく、そのような嵐の中にいても、この3つのことを覚える時、嵐が静まり、平安がやって来ます。イエスは言われました。「嵐よ、静まれ。」「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしを信じなさい。神を信ずれば我をも信ぜよ」と。
昨日も最近礼拝に導かれている方々が、「今日のお話し(御言葉)が心に響きました」と、喜んで帰って行かれました。この秋、人生を変え、歴史を動かすことさえできる一つの御言葉と出会えますように。今週も大切なことを大切に。