土の器

宮本牧師のブログ

引き寄せて来た

引き寄せるという言葉が、70人訳聖書(旧約聖書ギリシャ語訳)のエレミヤ書で使われています。私たちが使っている聖書ではこう訳されているところです。「遠くから、主はわたしに現れた。わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し、変わることなく慈しみを注ぐ。」これはエジプトを出て、荒野を旅する民を導き守られる神の愛がしみじみと語られている所ですが、70人訳では、最後の部分に引き寄せるという言葉が使われています。「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。それゆえ、絶えずいつくしみをもって引き寄せて来た」と。 主は、荒野を旅しながら、つぶやき続けた民をお捨てにならず、限りなき愛をもって愛し、約束の地へと導き、御自身のもとへと引き寄せてくださったのです。私たちが救われたのは、私たちの努力や頑張りだったのでしょうか。そうではなかったはずです。つぶやいてばかりいた私たちに、変わることなく慈しみを注ぎ、真実を尽くしてくださった神の愛に魅せられて、信仰が芽生えたのではなかったでしょうか。イエスの言葉の中にも「神によって教えられ」とありますが、御言葉を聞き学びながら、信仰を育てられたのではなかったでしょうか。 イエスはくり返し言われました。「はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これ(わたし)は、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」と。 神の御心は、御子を信じる者がひとりも滅びないで永遠の命を得ることです。その御心を成し遂げるために、キリストは十字架と復活を通して、世に命を与えるまことの食物となってくださったのです。 今日は聖金曜日、御許に引き寄せてくださる主に、私も「主よ引き給え」と祈ります。 午前中、名古屋市内と半田で家庭集会です。