土の器

宮本牧師のブログ

モーセ五書のキリスト

「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。」 ある聖書では「聖書を研究しなさい」と訳されています。聖書研究の大切さを教える一節として肯定的に読まれるべき一節だと思いますが、もっと大切なことがあります。聖書はイエス・キリストについて証ししているということです。ですから、永遠の命を求めて、祈りつつ聖書を読むなら、詩編の119編にあるように、「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯」ですから、必ずキリストのもとへと導かれて行くのです。 しかし、まるで顔覆いでもされているかのように、キリストのもとに来ようとしないユダヤ人のことが、この後のところで論じられていきます。すなわち、人の誉れのみを求め、神への愛がない彼らには、主の名によって来られる者がわからないと言うのです。そして、そんな彼らを訴える者が、ほかならぬ、彼らが頼りにしているモーセその人だと言われるのです。 パウロはこう言っています。「しかし、彼らの考えは鈍くなってしまいました。・・・今日に至るまでモーセの書が読まれるときは、いつも彼らの心に覆いが掛かっています。しかし、主の方に向き直れば、覆いは取り去られます。」「それはキリストにおいて取り除かれるものだからです。」「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました」と。 そこでイエスは言われます。「あなたたちは、モーセを信じたのであれば、わたしをも信じたはずだ。モーセは、わたしについて書いているからである」と。創世記から申命記までをモーセ五書と呼びます。それはモーセによって書かれたということですが、イエスは言われるのです。モーセ五書は「わたしについて書いている」と。天地創造の物語は、私について書いている。ノアの物語、アブラハム、イサク、ヤコブ、あの父祖たちの物語の、あそこにも、あそこにも、私のことが書いてある。ヨセフ物語も、私について書いてある。出エジプトの物語の、あそこにも、あそこにも、私のことが書いてある。エジプトを出る夜、屠られた過越の小羊とは、私のことである。紅海を二つに分け、荒野の旅路を導いた雲の柱、火の柱も私のことだ。岩から流れ出た清水も、天から降ってきたマナも、荒野で上げられた青銅の蛇も、私のことだ。私が有って有る者だ。「モーセの書いたことを信じないのであれば、どうしてわたしが語ることを信じることができようか。」 「聖書はわたしについて証しをするものだ」「モーセは、わたしについて書いている」と言われるお方が、貧しく人となり、この世界に来てくださいました。私たちも羊飼いであるモーセと共にイエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を拝みましょう。急ぎ行きて拝まずや。 次の日曜日はクリスマス礼拝です。11時スタート。ぜひお出かけください。