土の器

宮本牧師のブログ

少しも無駄にならないように

「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい。」 無駄、残り、屑と言われているパンが、12の籠を満たします。ヨハネが語るパンの奇跡には、最後の晩餐のイメージが重ねられています。最後の晩餐でパンを裂き、弟子たちに「取って食べなさい」と言われたイエスが霊的な真理を語られます。「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉(わたしの体)のことである。」イエスがほんとうに与えたいと望んでおられるパンとは、十字架の上で裂かれたイエスの体、イエスの存在そのものであったことがわかります。その十字架の恵みが少しも無駄にならないように、パンの屑まで集める必要があります。ここで使われている「無駄」という言葉は、「滅びる」「失われる」という意味ですから、「無駄にならないように」とは、滅びないで、失わないでという意味になります。 ヨハネ福音書3章16節は有名です。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」 「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と語られた言葉が、「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」と重なります。聖書が明らかにするこの福音は、人の目には価値のない、残ったパン屑のように見えるのかも知れません。しかし、私たちが一人も滅びないで、永遠の命を得るために、裂かれた命のパンなのです。 ここで言う食べるという行為は、イエスを口を開き全面的に受け入れ、イエスと一体となることを示しています。御言葉は告げます。「口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう」(詩編81:11)。「命を得させ、御名を呼ばせてください」(詩編80:19)。 今日は午前中、松阪での集いでした。いつも御言葉を待ち続けていてくださるみなさんに感謝です。