土の器

宮本牧師のブログ

だれのところへ行きましょうか。

パンの奇跡の翌日、カファルナウムの会堂でなされたパンの説教の結果はどうなったでしょう。永遠の命に至る食物、天からのパンについて語られたイエスは、「わたしが天から降って来た生きたパンである。・・・わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉である。・・・わたしを食べる者はわたしによって生きる」と説教を結ばれました。説教の合間にも、多くのユダヤ人たちがつぶやき、また反発を露わにしましたが、弟子たちの多くも「実にひどい話しだ。だれが、こんな話しを聞いていられようか」とつぶやきながら、イエスのもとを離れ去り、二度と行動を共にしなくなったと書かれています。イエスは弟子たちに「あなたがたはこのことにつまずくのか」と言われました。「このこと」とは、パンの説教で明らかにされた霊的な真理、パンの説教の先に見えてくるキリストの十字架と復活のことですが、弟子たちにはこのことが理解できませんでした。 イエスは御自身のもとを離れ去って行く弟子たちの後ろ姿を見つめながら、そこに残った12人の弟子に「あなたがたも離れて行きたいか」と寂しげに尋ねられます。するとシモン・ペトロが「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者です」と答えました。この場面は、ヨハネ独自の記事ですが、他の福音書に置き換えることができるとするなら、フィリポ・カイサリアにおける「永遠の質問」と呼ばれる場面ではないでしょうか。 マタイによる福音書の16章です。イエスは言われました。「人々は、人の子のことを何者だと言っているか。」弟子たちは口々に答えます。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」そこでイエスが「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と尋ねると、やはりシモン・ペトロが答えました。「あなたはメシア、生ける神の子です」と。すると、イエスは言われます。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と。 ヨハネ福音書に戻りましょう。「主よ」「あなたは永遠の命の言葉を持っておられる」「神の聖者」。これはフィリポ・カイサリアにおける信仰告白に勝るとも劣らない偉大な信仰告白です。今日、天国を開く鍵であるこの信仰告白を、私たちも心からささげましょう。「主よ、私たちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者です。」わたしたちはあなたを離れません。命を得させ、御名を呼ばせてください。 次の日曜日は母の日です。母の日は教会で生まれた美しい習慣です。母の日は教会へ。 満開のアンネのバラがみなさんをお出迎えします。