土の器

宮本牧師のブログ

心を乱さず

昨日の祈祷会で、祈りについてこんなお勧めがありました。 絶えず祈るの「絶えず」とは、しつこい咳で苦しむ人を表現する言葉でもあって、いつも喉や胸の辺りに咳が出そうな感覚を覚えている状態だというのです。その人がいつも咳を意識し緊張しているように、絶えず祈るとは、一秒も休まずに言葉で祈り続けると言うよりも、心の核心に神の現存を意識している状態であり、そこから思わず発せられる祈りを続けたいとのことでした。そして、ラウレンシオ修士の「神の現存の体験」の一節を体験を紹介してくれました。 たしかに一つの生活が、このような祈りで練りあげられ、神の現存の太陽にことごとくさらされるのは、努力なしでできることではない。ラウレンシオ修士は、そこに達するためには多く戦わねばならないことを、自分の模範によって、私たちに教えてくれる。「私は、この修行に関して相当の努力をした。不本意ながら、気を散らしてしまったような時にも、心を乱すことなく、あらゆる困難にもかかわらず、これを続けた。」初めのころ、彼の念祷はもっとしばしば雑念を払いのけたり、またそこに落ち込んだりして終始した。彼は時として、かなり長いあいだ、この修行を思い出さずに過ごしてしまうこともあったが、彼は常に「心を乱さず」そして、感嘆すべき辛抱強さで、ふたたびこれをやり始めた。これは実に慰めとなる話である。この神秘家は私たちと同じような一個の人間であり、私たちに、気を落とさず、霊的生活は、辛抱強い執拗さをもってあたるべきだと教えてくれる。 祈りが続かない私たちですが、心を乱さず、祈りに戻りましょう。ラウレンシオ修士もそうだったのですから。