土の器

宮本牧師のブログ

辻口

三浦綾子さんの「氷点」は、北海道の旭川が舞台です。現在、記念文学館の建っている見本林という場所の近くに主人公となる陽子の家、辻口家があるというのが物語の設定です。三浦さんは登場人物の名前の中にもメッセージを隠していたという話があります。辻口の辻はしんにょうに十と書くわけですが、これは十字架の道です。それに口と書くわけですから、十字架の道の入口という意味になるというのです。 陽子の養父である辻口啓造は病院の院長であり、辻口家は誰もがうらやむような幸せな家庭に見えたのですが、実際にはドロドロとした問題がいっぱいでした。続・氷点の中には、疲れ果てた啓造が教会に立ち寄る場面があります。十字架を見上げる啓造の姿は、まさに十字架の道の入口に立つ人の姿です。イエスとニコデモの対談を学んでいますが、実は、ニコデモもあの夜、十字架の道の入口に立っていました。 「人が新たに生まれる」という、律法の教師が「どうして」と首をかしげなければならなかった問題に、イエスモーセの時代に起きた故事を引用して答えます。それは民数記21章の物語です。イスラエルの民は、約束の地を前に不満は爆発させます。「我々を荒れ野で死なせるつもりか。もうあなたにはついて行けない」と。すると神は炎の蛇を送って彼らを罰せられました。恐ろしい神の裁きです。民は悲鳴を上げ、モーセに救いを求めます。そこで神はモーセに青銅で蛇を造り、どこからでも見えるように、その蛇を旗竿の先に高く掲げよと命じました。もし蛇にかまれた者がそれを見上げれば命を得るというのです。モーセはすぐに青銅で蛇を造り、旗竿の先に掲げました。そして、旗竿の先に掲げられた青銅の蛇を仰いだ人たちは命を得たのです。 イエスはニコデモにこのイスラエルの故事を思い出させながら、人を新たに生まれさせるために、「人の子(イエス・キリスト)も上げられねばならない」と語られたのです。 今週も大切なことを大切に。