土の器

宮本牧師のブログ

神の必然

モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子(イエス・キリスト)も上げられねばならない。」上げるという言葉を、十字架と関連させるのも、ヨハネ福音書のこだわりです。しかも、ここでは「ねばらない」と言うことですから、偶然ではなく、神の必然において、そうならなければならないことが強調されています。キリストの十字架、それは人が新たに生まれるために、神の側では必然の出来事だったのです。「それは、信じる者が皆、人の子(イエス・キリスト)によって永遠の命を得るため」でした。 神に逆らい、禁断の木の実を食べたアダム以来、すべての人はあの蛇の毒によって、罪のうちに死ぬ者となってしまいました。それこそ、ニコデモの心にあった「夜」だったのです。しかし、荒れ野で蛇に噛まれ、焼けるような痛みにのたうち回っていた人々に福音が伝えられました。「あの竿に掛かっている青銅の蛇を仰ぎなさい。そうすれば救われる。」それを聞いた人々の反応はどうだったでしょうか。そんなバカな話は信じられないと言って、目を上げなかった人々は荒れ野で死んで行きました。しかし、藁にもすがるような思いで、単純に、素直に、旗竿の上に掲げられた青銅の蛇を仰いだ人は死を免れ、命を得たのです。聖書は言います。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、私たちに救われる者には神の力です」と。 今週も大切なことを大切に。