ハジマリニ、カシコイモノゴザル
知多半島に小野浦と呼ばれる場所があります。日本で最初の和訳聖書の翻訳に協力した三人の船乗りの「三吉」ゆかりの地です。三吉とは、音吉、久吉、岩吉と言う、三人の若者のことですが、難破船に乗り太平洋を横断した彼らは、命辛々カナダの沖合の小島に辿り着きます。やがてイギリス商船に拾われロンドンに、そしてついに日本をめざすことになりました。マカオまで戻って来た彼らは、ギュツラフという宣教師と出会いますが、彼からの依頼で聖書の翻訳が始まりました。その最初の和訳福音書がヨハネによる福音書でした。「ハジマリニ、カシコイモノゴザル」で始まる1章1節は有名です。
三浦綾子さんはこの出来事を「海嶺」という作品を通して紹介していますが、興味深いのは、どうしてヨハネによる福音書だったのかということです。小説の中では、ある人が彼に尋ねます。「なぜ、日本のためにヨハネ福音書を選ばれたのですか。マタイ伝やルカ伝の方が、訳すのが容易ではないですか。」ギュツラフは答えます。「確かにその通りかもしれません。しかし、彼ら三人と、マカオの寺院を巡った時、私は彼らがどこに行っても頭を下げることに気付いたのです。彼らは、何にでも手を合わせるのです。私はあの『知られざる神に』に手を合わせる記事を思い出したのです。(使徒言行録17章に記されている出来事です。)それで私は、キリストが神であることを確実に伝えるヨハネ伝を選んだのです。」
まさにこのギュツラフの気持ちはアテネのアレオパゴスの丘で説教したパウロの心であったのです。パウロは言いました。「道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう」と。
確かにヨハネ福音書は、教会が誕生して半世紀が経ち、キリストの教えと、偽りの教えとの狭間で、どこが違うのかを明らかにするという目的を込めて書かれたものでもありました。そこで何よりも先ずキリストが神であることを彼は証ししたかったのです。真っ直ぐに、「言(キリスト)は神であった」と。
明後日、2月1日は、2月のオープン礼拝になります。
ぜひお出かけください。