土の器

宮本牧師のブログ

神様が歌っておられる・・・

主は・・・愛によってお前を新たにし・・・喜びの歌をもって楽しまれる。(ゼファニア3の17) 愛によって「新たに(ハダッシュ)」という訳は、ギリシャ語の70人訳聖書に従ったもので、ヘブライ語の原文は「黙らせる(ハラッシュ)」という言葉が使われている。ルターは心の中の隠れたところで真の平安と静けさを持つと言う意味で「愛によって黙らせる」と訳した。主の愛はしばしば私を沈黙させる。カルバリ山の十字架のもとでは誰もが沈黙したであろう。それは自らの罪を深く自覚するためであり、神の愛を深く想うためである。しかし、ゼファニアは別の見解を伝える。それは愛の歌を聞かせるためだと。 リビングバイブルの訳は大胆だ。「ほら、聞こえてくるのは、喜びにあふれた聖歌隊の歌声であろうか。いや、あれは神様が、あなたがたのことで、喜びいっぱいに歌っておられる声だ。」 神に背を向け、神以外のもので心を満たそうとしていた放蕩息子のような私も、あの日、愛によって新たにしていただいた。しかし、真実はこうだ。私は神の愛にただ沈黙させられた。すさまじい愛ばかりの愛に、言葉を失ったのだ。そして、私も聞いた。神様が歌っているのを。それは放蕩息子の帰還を喜ぶ父の歌のようであった。「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった。」それから祝宴が始まった。それは愛。愛。愛。 明日は、聖歌隊と一緒に、京都の教会で賛美をさせていただく。神様からのラブソング・・・。まず歌う私たちが沈黙のうちに神の歌声を聞いていなければ、この愛の歌うことはできない。カルバリ山に立ち止まり、息を潜めて愛に沈黙する瞬間、その歌が聞こえてくる。愛の歌が。 明日の名古屋教会での礼拝は通常通りです。メッセージは宮本裕美先生、創世記15章から「見上げてごらん」。 礼拝後、11時から始まる京都でのコンサートの様子をライブで放送予定です。こちらもお楽しみに。