土の器

宮本牧師のブログ

ベツレヘムの御子を

キリストは父なる神の願いを実現するために「ここにいます」と答えてくださいました。私たちはどうなのでしょうか。二千年前のあの夜、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」という悲しい現実がありました。だれも「ここに」と答える人がいなかったのです。どうか、この待降節、私たちは神の愛に応え、「私がここにいます」と答えさせていただきましょう。 今から800年ほど昔、アシジのフランシスコは、グレッジオの森でクリスマスを祝いました。村人たちが手に手に松火を持って集まって来たので、グレッチオの森は真昼のように明るくなったと伝記は伝えています。フランシスコは、干し草の敷かれた飼い葉桶をのぞき込み、何度もため息をつき、口では言い表せない幸せに満たされていました。そして、「ベツレヘムの御子を愛しましょう」と言いながら、身をかがめて幼な子を胸に抱きかかえる仕草をしました。すると不思議なことに、そこに集まっていた多くの人が、フランシスコの胸に眠るキリストを見せられたのです。その日、クリスマスは過去のものではなく、現在のものとなりました。グレッジオの森は新しいベツレヘムとなったのです。いま私たちも「ここに、この胸に」と答えながら、愛なるキリストを抱きしめましょう。 今日は午前中、松阪と長久手でクリスマス会が持たれます。毎月の集会を準備をしてくださる教会のメンバーと、その集まりを楽しみに通ってくださるみなさんに感謝です。クリスマスの喜びが広がりますように。