土の器

宮本牧師のブログ

剣と十字架

アシジの聖フランシスコの生涯を描いた「剣と十字架」という映画があります。フランシスコの映画は何本もありますが、若い時代から彼の死まで、その生涯全体を描いたものは、この映画だけかも知れません。この映画をベースに書かれた劇があり、大学生の時、フランシスコの役をさせていただいたことがあります。長い劇ですが、ほとんどフランシスコがしゃべっているという脚本でした。でも、当時の私は、何とかしてフランシスコのようになりたい、そんな真っ直ぐな思いで、夢中になって劇に取り組みました。青春時代の思い出です。 劇の一場面です。フランシスコがダミアノ教会で回心を経験する前、騎士に憧れ、剣をもって戦いに出ていた頃、突然天からの声を聞きます。「フランシスコ、汝は何処に行こうとしているのか。」「騎士になるために戦へ…。」再び天の声、「フランシスコ、神と僕とどちらに仕えるのが最善か?」「それは、神に仕える方が最善です。」さらに天の声、「フランシスコ、剣を捨てよ。」 彼は剣を置いて、アシジに戻りますが、やがてダミアノ教会で、十字架のキリストとの出会い、当時の力を失っていた教会に、再び神の火が灯されたのです。自分の正義、自分の理想、強引なマイウェイを切り拓く剣を捨てて、神がお与えになった杯、十字架を取る人によって、神は今も、この世界を変えようとしているのです。 先週、説教の準備をしながら、今から10年以上前に、エッセイ風にフランシスコのことを書いてる文章を、こちらのブログで見つけ、感動しました。 かつて宴会好きで、騎士になることを夢見ていた若者がいた。 あの日、彼は廃墟と化したダミアノという教会で独り祈っていた。 屋根もない青天井の教会だ。心地よい風が頬をなでる。 ただ古びた十字架が雨ざらしのまま置かれていた。 何か話したいことがあるような表情に見えた。 遠くで雲雀が鳴いている。まるで歌っているようだ。 若者は目を閉じた。・・・静かだ。もう雲雀の声も聞こえなくなった。 彼は行くあてもなくこの教会にたどり着いた。 彼は行くべき道を求めていたのだ。彼は祈り始めた。 どれくらいの時間が過ぎただろう。 若者はただならぬ気配を感じ、目を静かに開けた。 誰もいない・・・。彼はあの古びた十字架をじっと見つめている。 その時だ! キリストの口が動いた。 若者はその声を聞いた。 「倒れかかっている私の教会を建て直せ。」 彼は「そうします」と答えた。そして、立ち上がった。 その時だ! 歴史は動いた。 キリストはずっと待っていたのだ。彼が来るのを。 キリストはずっと待っている。あなたが来るのを。 今日も、そして明日も。 さあ、私たちも剣を捨てて、十字架に帰りましょう。