新約聖書の中で、イエス・キリストを別にすれば、最も偉大は働きをしたのはまちがいなく使徒パウロです。
パウロという名はローマの呼び名で、聖書を見ると、彼は当初、サウロというユダヤの呼び名で呼ばれていました。サウロとは、イスラエルの初代の王と同じ名前ですが、この名前には「求める」という意味があります。サウル王は、自己の栄誉を求める人の象徴です。一方、パウロという名前には「いと小さき者」という意味があります。かつてはサウル王同様、自己の栄誉を求めていた野心家が、ダマスコ途上における復活のキリストとの出会いによって、神の栄光のみを求めるいと小さき者となったのです。
私たちの神はダマスコ途上で私たちに語りかける神です。サウロにとってダマスコへの道は、己を求め、己の正義を貫く道でした。神の道とは真逆と思えるその道の途上まで、神は私たちを追いかけ呼び止められるのです。失意の道を歩いていたエマオの弟子たちもそうでした。信じたくても信じられなかったトマスも、強がっていたのに大失敗したペテロもそうでした。イエスは彼らをとことんまで追いかけて行かれたのです。私たちはあの日のサウロのように、どこまでも己を求める、自分ファーストな存在ですが、聖書の優先順位はいつもキリスト・ファーストです。私たちもあの日のサウロのように「主よ、あなたはどなたですか」と問いかけながら、主を求めましょう。生まれ変わったパウロはあの日からずっと、ずっとキリストを知ることを求め続けました。そんなパウロの言葉です。「私の心に堅く定めた目的は、キリストを知ることです。だんだんと、さらに深く、さらに親しく……さらに強く、さらに明白に」キリストを知ることです。