土の器

宮本牧師のブログ

歓喜、狂喜、陶酔、有頂天

キリストが復活されたイースターの夕べのことでした。弟子たちはユダヤ人を恐れ、自分たちのいる家の戸に鍵をかけ、絶望の中に座り込んでいました。するとそこへイエスが来て真ん中に立ち、「シャローム(平安があなたがたにあるように)」と言われたのです。イエスは十字架の上で付けられた手と脇の傷を弟子たちにお見せになりました。すると「弟子たちは主を見て喜んだ」と聖書に書かれています。
詳訳聖書では、この喜びが次のように訳されています。「弟子たちは主を見て喜び<歓喜、狂喜、陶酔、有頂天>に満たされた。」欣喜雀躍する弟子たちの姿が生き生きと描かれています。私たちの罪のために十字架で死に、三日目に復活されたキリストこそ、私たちの喜びの源泉なのです。
キリスト教の中心は、イエス・キリストの十字架と復活です。別の言葉で言えば、十字架によって罪を赦された平安と、死の力が打ち破ぶられた驚きです。平安と驚き、これこそイースターのメッセージ、そしてキリスト教の原点です。十字架によって私たちの罪が赦されたという平安、キリストが死を打ち破り、今も生きておられるという驚き。ここにこそ、私たちの人生を再建させるに必要な知恵が、希望が、十分に備えられているのです。主が復活された日曜の朝、私たちは毎週、二千年前のあの朝のように、平安と驚きの神に出会うことができるのです。この平安と驚きを失うことがありませんように。
エスは来て私たちの悲しみと痛みの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。<歓喜、狂喜、陶酔、有頂天>に満たされた!