土の器

宮本牧師のブログ

まことの礼拝者

エスサマリアの女の対話が続きます。「夫をここに呼んで来なさい」と言われた彼女は「私には夫はいません」と、ありのままを言いました。ここから礼拝についての問答が始まります。
女は言いました。「私たちの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。(私たちはどこへ行けば、神と出会うことができるのでしょうか。)」イエスは言われました。「女の人よ、わたしを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが神を礼拝する時が来ます。……まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時なのです。父はそのような人たちを、ご自分の礼拝する人として求めておられるのです。」
私たちのなすべきこと、それは御霊と真実によってありのままの神を礼拝することです。「御霊と真理によって」、英語では「in the Spirit and in truth」と訳されています。真実なるもののうちにあって(つまり不真実なものを捨てて)、御霊なるもののうちにあって(つまり肉なるものを捨てて)、神を礼拝するのです。メッセージバイブルという聖書では23節をこのように訳しています。「父はこのような人々、すなわち礼拝において、神の御前にありのまま自分をさらけ出す人を求めておられるのです。」
礼拝は場所や時間、スタイルも大切だと思います。でももっと大切なことは、誰をどのように礼拝するかです。神は片手間で済ませられるようなうわべだけの礼拝を求めていません。もっと霊的な、もっと真実な礼拝を、神の御前にありのままの自分をさらけ出す礼拝者を求めておられるのです。
この日、イエスは、まだ弟子たちにも知らせていなかった礼拝の奥義を、奥義の御名を、どうしてサマリアの女に教えられたのでしょうか。それは彼女が、ありのままの自分をさらけ出したからです。「あなたは本当のことを(ありのままを)言いました」、だから、私も本当のことを言いましょう。「ここに来なさい。話をしよう。」「あなたと話している『わたしは在る』(我は有りて在る者なり)」と。