土の器

宮本牧師のブログ

模範

キリストこそ、謙遜と愛の模範です。
エスは言われました。「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を残したのである。」ペテロも言いました。「あなたがたが召されたのはこのためです。キリストは……模範を残されたからです。」
「模範」と訳されている言葉は、
ギリシア語の「ヒュポグラモン」という言葉で、当時の子どもたちが字を学ぶ方法から来ていると言われています。子どもの頃、点字で書かれた文字をなぞって新しい字の書き方を覚えたり、習字の時間に先生が書いてくださったお手本に紙を重ねて、それを写したりしたことがあるのではないでしょうか。それがここで言われている「模範」という意味です。
修道者トマス・ア・ケンピスが記したと言われる『キリストにならう(イミタチオ・クリスティ)』は、古くは『基督のまねび』という題で出版されていた中世の古典的な名著です。「学ぶ」の語源が「真似る」なのはよく知られた話しですが、キリストに倣うとは、キリストに学び、真似ることです。この本の冒頭にこう記されています。「私たちの第一のつとめは、
イエス・キリストのご生活を黙想することにある。……キリストのみことばを十分理解し、それを味わおうとする人は、自分の全生涯を、キリストに一致させるようにと、努めなければならない。」 ペテロの勧めは続きます。「皆互いに謙遜を身に付けなさい。なぜなら、『神は高慢な者を敵とし、謙遜な者に恵みをお与えになる』からです。」ここで使われている「身に付ける」という言葉は、やはり僕がエプロンを身に着ける場合に用いられる言葉で、キリストの洗足を思い出させます。詳訳聖書はその意味を詳しく伝えています。「あなたがたは、みな互いに謙そんを〈家僕の服を着るように〉身に着けなさい《高慢や尊大から解き放たれて、謙そんの衣をどうしてもあなたがたから脱がせることができなくなるほどしっかりと身に付けなさい》」と。 イエスの模範に倣いましょう。
「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしに学びなさい。」