土の器

宮本牧師のブログ

新しい掟

イエス・キリストが十字架にかけられる前夜、最後の晩餐の席でのことです。イエスは自分に残されている時間が少ないことを強く意識しながら、その時間を大切に使われます。まず弟子たちの足を洗い、身をもって愛と謙遜の模範をお示しになりました。そして、ユダが出て行くと、「人の子は栄光を受けた」と前置きされ、弟子たちに「新しい掟」を語られました。 「新しい掟」とは何でしょう。聖書に出て来る「掟」とは、旧約聖書の律法のことですが、イエスは自らが「天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない」と言われた旧約の律法に、まるで新しい1ページを書き加えるかのような発言をされたことになります。ある時、律法の専門家がイエスのもとに来て尋ねました。「律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」するとイエスは、「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は(つまり旧約聖書は)この二つの掟に基づいている」とお答えになりました。 神を愛し、神に愛されている自分を愛し、その愛で他者を愛する。三つの愛です。この三つの愛を集約して、イエスは「新しい掟」を語られたのです。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と。 二つの新しさがあります。一つは「わたしがあなたがたを愛したように」という愛の標準です。もう一つは、「互いに」という言葉です。「隣人」という場合、隣人は私から見て隣の人。つまり私が出発点なのですが、「互いに」という場合は、出発点が私だけではありません。私たちが出発点です。「Identity(自己、自我)」という言葉はよく使われますが、こんな言葉を聞きました。「WEdentity」、これは造語ですが、私と他者という考えを超えて、私たちと考えて生きるということです。 十字架の死を目前にして、イエスが直々に命じられた新しい掟。イエスが愛したように、私たちが互いに愛し合うこと、ここに聖書全体がかかっているというのです。キリスト教は愛の宗教です。言うは易く行うは難し、自らの愛の乏しさに泣きたくなることもありますが、そんな時、あのメッセージを思い出しましょう。「自分には愛がないと思う人は、愛が一番たくさんある所に行き、そこにとどまりましょう。愛が一番たくさんある所、それは十字架です。」さあ、十字架に帰り、イエスが愛されたように、私たちも互いに愛し合いましょう。