土の器

宮本牧師のブログ

もう怒っていないよ

学生時代、よく友人を教会に誘いました。友人が来ると、牧師や先生が声をかけてくれるのですが、長くなると「あなたは救われていますか」「信じれば救われますよ」という話になり、友人はばつの悪そうな様子でした。クリスチャンの間では、よくある普通の会話なのですが、まだクリスチャンではない人にとっては、いまいちピンとこない会話です。

どのような宗教にも「これが救いだ」というものがあるのだと思います。キリスト教では何を救いと言い、何からの救いを言っているのでしょうか。救われるという時、現実生活に関係した救いがあります。病気や貧しさ、様々なトラブルからの救いです。つまり健康や経済、人間関係という現実的救いです。しかし、もう一つ根源的な意味での救いがあります。聖書は、どちらの救いについても教えていますが、より頻繁に出てくるのは、後者の根源的な意味での救いについてです。それは、罪の赦しと永遠の命についての教えです。では何から救われるのでしょう。罪と罰、虚しさと孤独、心の傷や痛み、過去の恥と罪責感、さらには死の恐れ、それらすべてのことからの救いです。

根源的な意味での救いを聖書的に定義すると、それは「神の怒りからの救い」ということになります。聖書を読んだことがない人でも、本能的にさばきに対する恐れをもっているものです。箴言の28章1節には「悪しき者は、追う者もいないのに逃げる」と書かれていますが、過去の恥と罪責感に責め立てられている人のことです。

根源的な意味での救いとは、神の怒りからの解放なのです。キリストが十字架の上で、私たちが受けるべき罪の罰を受けて死んでくださったので、私たちの罪はもう赦されています。エレミヤ書3章12節以下、「わたしはお前に怒りの顔を向けない。わたしは慈しみ深く、とこしえに怒り続ける者ではない……。」もう怒っていないよ。ここに救いが、福音があるのです。