土の器

宮本牧師のブログ

偉大ないのちの奥義


オランダの巨匠レンブラントはエマオの物語を好んで描いていますが、「エマオの晩餐」は彼の代表作の一つです。これは、弟子たちの目が開かれ、見知らぬ旅人だと思っていたその人が復活されたイエスだと分かったという、まさにその瞬間を描いたものです。

この作品には次のようなエピソードが伝えられています。若くして才能を開花させたレンブラントは人々が望む絵を数多く描くことで富と名声を得、家族と共に幸せに暮らしていましたが、その幸せはある日突然壊れてしまいました。最愛の妻サスキアに先立たれてしまったのです。レンブラントは筆を折り、失意のどん底にいました。そんなある日、悩み苦しんでいた彼は、復活されたキリストと出会い、死が終わりではないことを知りました。ちょうどそのころに描かれたのが「エマオの晩餐」です。

レンブラントはこの作品を42歳の時に描いていますが、同名の作品を22歳の時にも描いています。最初の作品は、光と影の強烈なコントラストを使い、驚きから身を引く弟子に光を当て、キリストはシルエットのみで描くというドラマチックな構図でしたが、20年後に描いた本作は、食卓に座るイエスを正面に据えるという単純な構図で、画面全体を柔らかな光が包み、穏やかな印象を与える作品に仕上げています。死が終わりではないことを悟ったレンブラント渾身の一枚です。

多くの人がこの絵を売ってほしいとレンブラントのもとを尋ねましたが、「この絵は妻の死を通し、まことのいのちとは何かを身をもって体験して描いた作品なので、値段をつけることはできないのです」と答えたと言います。この絵を完成させた後、レンブラントは「私は偉大ないのちの奥義を悟って、この絵を描いた」と告白したと言われています。

レンブラントだけではありません。私たちにもエマオの道の弟子たちのように夢が破れ、すべてが色あせて見えるような失望落胆の道を歩むことがあります。しかし、そんな私たちにそっと近づき、私たちをいのちの道へと導いてくださる神がおられるのです。あなたのエマオの道にも神の足音が聞こえますか?

イエスは言われました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」