土の器

宮本牧師のブログ

キリストの死と復活の序曲

「その日以来、彼らはイエスを殺そうと企てた。」それは具体的な行動に移されていました。ヨハネは「過越の祭りが近づいていた」と記しています。ラザロの死と復活は、キリストの死と復活の序曲であったと話してきましたが、ラザロが復活したその日、すでにイエスの死が、ユダヤの議会では既定路線とされたのです。

過越の祭りを目前にして、カヤパは、大祭司の特別な務めのことを思っていたことでしょう。過越の祭りには全イスラエルを代表して、一年の一度だけ、大祭司が神殿の至聖所に小羊の血を携えて入り、民のために祈りました。小羊は民の身代わりの犠牲となる救い主(メシア)のシンボルとなったのです。

ヘブル人への手紙には、真の大祭司であるイエス・キリストのことがくり返し記されています。「キリストは・・・動物の血によらないで、ご自身の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました。」「このみこころにしたがって、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは救われたのです。」

ジオットが描いた「ラザロの蘇生」を覚えていますか。墓を背にしたラザロと墓に向かうイエス・・・。それはラザロと入れ替わりに、イエスが墓に葬られることを暗示しているように見えます。イエスはご自分のいのちと引き換えに、今日もあなたを死からいのちへ、呼び出そうとしておられるのです。やがて、イエスの死を目撃したヨハネは、声を大にして叫ぶのです。

「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。」「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物として御子を遣わされました。ここに愛があるのです」と。