土の器

宮本牧師のブログ

憤り

イエスの涙に前後して、ヨハネがくり返して使う言葉があります。それは「憤り」という言葉です。33節には、「イエスは・・・霊に憤りを覚え、心を騒がせて」とあり、38節にも、「イエスは、再び心のうちに憤りを覚えながら」とあります。日本語には訳しにくい言葉ですが、イエスの感情を描く珍しい表現と言えるでしょう。

ここで「憤り」と訳されている言葉は、馬がいきり立って鼻を鳴らす様子を示す動詞で、不快感や怒りを表す時に用いられる言葉です。英語の聖書では、groaned in the spirit(霊のうめき)と訳されていますが、同じ言葉が、ローマ人への手紙の8章26節にも使われているのは興味深いです。「同じように、御霊も弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。」

ラザロの死という、動かす事の出来ない深い悲しみを前に、祈る言葉も失って泣いている私たちのために、イエスの内なる御霊が、まるでうめいておられるかのように、イエスを突き動かしておられるのです。ですから、イエスの涙には、うめきの祈りが隠されていたのではないでしょうか。ローマ書の8章の続きを読めば、うめきの祈りは万事を益に変え、やがて輝かしい勝利へと私たちを導いてくれることが教えられています。

イエスは怒って、うめいて、全身の聖なる力を集中して、敵である死に向かってにじり寄って行かれます。それは、ゲッセマネの祈りのようであり、また十字架を象徴していました。さらに、そのうめきは敵である死を、死をもって打ち破り復活される日につながっていきます。ラザロの死と復活は、まさにキリストの死と復活の予告編となっていたのです。

 

秋が深まっています。次の日曜日も礼拝は朝10時30分から。ぜひお出かけください。