土の器

宮本牧師のブログ

まことのイスラエル人

「ナザレから何か良いものが出るだろうか。」 ナタナエルの言った意味は、旧約聖書にナザレからメシアが出て来るとは書かれていないということですが、同時に、自分も同じガリラヤのカナの出身だが、エルサレムから遠い、このガリラヤのようなところからは、何の良いものも出て来ないよと言う、期待するだけ無駄だよという冷めた響きも感じられます。私たちの内にもそんな思いがあるかも知れません。しかし、イエスは全く違った視点で私たちを見ておられます。 「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」 イスラエルとは、イスラエル民族の太祖ヤコブに与えられた新しい名前です。古い人ヤコブは神と人を騙そうとする偽りだらけの男でしたが、彼は試練を通過し、相撲を取るように、神と真っ正面からぶつかり合う経験を通して、全く新しい人に変えられていきました。神を慕い求める人の心に偽りはありません。神は、そんな私たちの偽りのない祈りを見てくださるのです。 イエスとナタナエルの出会いのストーリーを私たちに当てはめるならこうなります。あなたが神を慕い求め、その御声を聞きたいと願い、100日間の連続祈祷を行いました。しかし、100日の祈りが終わっても何も起こりません。あなたが失望していると、そこにイエスが来て「あなたが100日の間祈っているのを見ていたよ」と言われたならどうでしょう。きっとあなたも言うでしょう。「あなたは神の子です。私の王の王、すべてのすべてです。」