土の器

宮本牧師のブログ

屠られたような小羊

聖書にはたくさん羊が登場してきます。多くの場合、神が羊飼い、私たち人間が羊にたとえられるのですが、イエス・キリストが小羊と呼ばれることもあります。イエス・キリストが、救い主としての公の舞台に登場した日、洗礼者ヨハネはイエスを「神の小羊」と呼んで紹介しました。ここで言われている小羊とは、人の身代わりとして祭壇に捧げられたいけにえのことで、その呼び名の背景に、出エジプトの出来事や、イザヤ書53章の受難のメシアの預言があったことを学びましたが、もう一つ、小羊について書かれている大切な聖書の記事があります。それはヨハネの黙示録において、ヨハネが幻に見た神の小羊です。 黙示録の4章と5章には、天国の礼拝の光景が描かれていますが、彼は玉座に座っておられる神の右の手に巻き物があるのを見ました。巻き物には、これから起こることが書かれていましたが、その巻き物は7つの封印で堅く封じられていたのです。その封印を解かなければ、それを読むことはできません。問題は、だれがこの封印を解いてくれるのかということでした。しかし、天にも地にも地の下にも、この巻き物を開くことのできる者はいませ。ヨハネは激しく泣いていました。神のご計画(御心)がわからないからです。その時、ヨハネに語りかける声がありました。「泣くな。見よ。泣くな。見よ。ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる」と。「ユダの獅子」「ダビデのひこばえ(若枝)」、これはどちらも聖書の暗号のようなもので、勇ましく輝かしい救い主のタイトルです。その方とは、言うまでもなくイエス・キリストのことですが、そのすぐ後を見ると、ユダの獅子と呼ばれていたお方が、今度は「屠られたような小羊」と呼ばれ、その後もくり返し「小羊」と呼ばれるのです。ヨハネは何を見たのでしょう。彼は屠られたような小羊が立っているのを見たのです。屠られた(切り裂かれた)なら、本当は生きてはいないはずですが、その小羊は「立っていた」というのです。そうです。生きていたのです。言葉を換えるなら、十字架にかけられ、復活されたキリストを見たということです。 今週も大切なことを大切に。