土の器

宮本牧師のブログ

「主の声」の歌

詩編29編は「『主の声』の歌」と呼ばれ、たった11節の短い詩の中に「主の御声」という言葉が7回もくり返されています。そこで「7つの雷鳴」の歌とも呼ばれることもあります。主の声が雷鳴のように連打され、ついに雷雨の中での神賛美となるのです。4節、5節、「主の御声は力を持って響き、主の御声は輝きをもって響く。主の御声は杉の木を砕き、主はレバノンの杉の木を砕き・・・踊らせる」。 レバノンの杉は、神殿や船舶を作るのに使われたたいへん高価で丈夫な建材です。そう簡単に折れたり、割れたりはしません。多くの場合、神の栄光の象徴として用いられるレバノンの杉ですが、ここでは私たちの驕りや高ぶり、簡単には折れない自我を象徴しているように思えます。しかし、主が声を出すと、その御声はレバノン杉をも引き裂いたのです。主の声となった洗礼者ヨハネのもとに、多くの人々が集まってきました。人々はその声に打たれ、自ら罪を悔い、自己中心な生活から、神中心の生活へと方向転換していったのです。 荒れ野に響く主の声があります。「悔い改めよ。天の国は近づいた」と。「悔い改め」とは、方向転換のことです。それは神に背を向けていた者たちが、方向転換して神に帰るという意味です。今日も「荒れ野で叫ぶ声がする。『主の道をまっすぐにせよ。』」一直線に、神に帰れ。 次の日曜日は棕櫚の聖日。受難週に入ります。