土の器

宮本牧師のブログ

神が人となれた

私たちの神は、私たちを滅びから救うために、人となられた神です。 こんな美しいストーリーがあります。 老いたひとりの農夫がゆり椅子に身をゆだねて、暖炉の火を見つめていた。 遠く教会の鐘が鳴っている。彼はもう長いこと教会に背を向けて生きてきた。 「神が人間になった、だと? ばかばかしい。だれがそんなことを信じるものか。」 眼を閉じ、薪のはじける音を聞きながら、彼はまどろみかけていた。 突然、窓ガラスに 何かぶつかる烈しい物音。それも次々に、さらにさらに烈しく。 何事かと、彼は身を起こした。 窓際に立って見たものは、音もなく雪の降りつもる闇夜の中に、 この家をめざして押し寄せてくる、おびただしい小鳥の群れだった。 雪闇に渡りの途を誤ったのだろうか。 小鳥たちは ともしびを求めてガラス窓に次々と打ち当たっては、むなしく軒下に落ちていく。 彼はしばし呆然とその有様を眺めていたが、 外に出るや雪の降り積もるなか、一目散に納屋へと走った。 扉を大きく左右に開け放ち、電灯を明か明かと灯して、 干し草をゆたかに蓄えた暗い納屋へ、小鳥たちを呼び入れようとした。 彼は叫んでいた。「こっちだ、こっちだ、こっちへ来い!」 しかし、はばたく小さい命たちは、彼の必死の呼び声に応えず、 なおもガラス窓に突き当たっては死んでいった。 農夫は心のうちに思った。「ああ、私が小鳥になって、彼らの言葉で話しかけることが出来たなら!」 一瞬、彼は息を呑んだ! 彼は瞬時にして悟ったのだ。 「神が人となられた」ということの意味を。彼は思わずその場にひざまずいた。 今や、人となり給うた神の神秘に満ちた愛が、ひざまずく老いた農夫を静かに被い包んでいた。 彼の上に降りかかり降り積もる雪は、そのしるしとなっていた。 人知をはるかに超えたロゴスの受肉。 この年老いた農夫と共に、神が人となられたお方の前にひざまずこう。 今年もあっという間の2ヶ月が過ぎ、明日は3月最初の礼拝です。 緊急事態宣言が解除され、教会では感染対策を励行しながら分散礼拝を再開します。 予約が必要ですが、初めての方もご参加いただけます。