土の器

宮本牧師のブログ

無から有を

私たちの教会の母教会は嵯峨野教会ですが、今から70年前の1950年(昭和25年)4月30日、聖イエス会の創立者である大槻牧師は広島にあった修道学院での最後の礼拝を終え、5月1日、京都に聖イエス会嵯峨野教会の看板を掲げました。当時、嵯峨野教会の建物は近所の人々から「ワン公ハウス」と呼ばれるたほど小さなもので、それは無からの出発でしたが、同時に、「信仰と希望に満ちた輝かしい出発であった」と回想録に記しています。 5月のある日、黙想庵での祈り会において、大槻牧師はイザヤ書35章を開かれました。そして、「必ずこの地に聖霊が注がれ、リバイバルが起こりますよ。多くの聖人聖女がさふらんの花のようにさかんに咲きますよ。神の言葉を信じましょう」と語られたのです。 それから5年後、最初の会堂建設が始まったころ、黙想庵での祈り会に出ていたひとりの人が、「こんな所にそう簡単にリバイバルが起こるはずがない、いくら神の言葉だと言っても無理だと、心の中で思っていましたが、まことに不信仰な者でございました」と嬉しい悔い改めをされたことが、これも回想録に記されています。実際、開拓当初の嵯峨野教会は、そのような思いになっても仕方のない、いったいどこから水がわき出ることやら想像もつかない霊的荒れ野であったのです。 いま、私たちの現実はどうなのでしょうか。何かが芽ばえているような手ごたえを感じている人は幸いです。振り返ってみると、4ヶ月前、私たちは、イザヤ書35章から標語の言葉を与えられ、希望をもって一年をスタートしましたが、今このような現実の中で、何も期待できそうにない、寂しさを、虚しさを感じています。しかし、それであればこそ、私たちはアブラハムのような信仰をもちたいのです。 「彼(アブラハム)はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。彼は望み得ないのに、なお望みつつ信じた。・・・彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し、神はその約束されたことを、また成就することができると確信した。だから、彼は義と認められたのである。」 「神から出ることばで、実現の力のないものは一つもありません」 「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び踊れ、砂漠よ、喜び、花を咲かせよ。」 今週も大切なことを大切に。 今年のGWはステイホームを楽しみましょう。 玄関のアンネのバラが美しく咲いています。