土の器

宮本牧師のブログ

絶望はとなりのひとに聞いた

6回に及ぶイエスへの審問の中で、夜が明けるのを待つわずかな時間の出来事を伝える場所があります。これは聖書には書かれていないことですが、伝説によると、そのわずかな時間、イエスはカイアファの屋敷にある地下牢に収監されたと言うのです。 今は地下牢に下りる階段もありますが、そこは縦穴式の地下牢で、丸い穴から下につり降ろされると、もはや自力で這い上がることはできませんでした。まだ花冷えのする季節、その冷たく、狭く、薄暗い地下牢にイエスは一人つり降ろされ、一睡もできないまま朝を迎えたのです。その顔には殴られた痕が青あざとなって残っていました。 以前、ある牧師が、聖地巡礼でこの地下牢を訪れた時の印象を証ししてくださったことがあります。この地下牢では詩編88編が朗読されることになっているそうです。詩編88編は、詩編の中で最悪の詩編です。多くの詩編は、苦悩の叫びから始まりますが、やがて悲しみを克服し、希望を見いだして終わります。しかし、この詩編は、解決のないまま、悩みで始まり、嘆きで終わるのです。 88:4 わたしの魂は苦難を味わい尽くし/命は陰府にのぞんでいます。 88:5 穴に下る者のうちに数えられ/力を失った者とされ・・・ 88:7 あなたは地の底の穴にわたしを置かれます/影に閉ざされた所、暗闇の地に。 88:9 ・・・わたしは閉じ込められて、出られません。 88:10 ・・・来る日も来る日も、主よ、あなたを呼び/あなたに向かって手を広げています。 88:15 ・・・主よ、なぜわたしの魂を突き放し/なぜ御顔をわたしに隠しておられるのですか。 88:19 ・・・今、わたしに親しいのは暗闇だけです。 その牧師は声を震わせながら、次のように証しされました。「地下牢の片隅に詩編88編が開かれており、それを私が読むことになった。ところが、読み進むにつれて、これは私のかつての姿であるとの感動が突き上げてきた。恐るべき魂の暗闇に突き落とされた日のことを思い出しながら、キリストがこの地下牢のように深い穴から、私を贖い出すことができたのは、キリストご自身が、この深い穴の底まで降ってくださったからでした」と。 だとすれば、詩編88編は、ほんとうに希望のない詩編でしょうか。キリストが地下牢のように深い絶望の穴から、私たちを贖い出すことができるのは、キリストご自身が、この深い穴の底まで降ってくださったからなのです。やなせたかしさんの詩を思い出します。「絶望のとなりにだれかがそっと腰かけた。絶望はとなりのひとに聞いた。『あなたはいったい誰ですか』。となりのひとはほほえんだ。『私の名前は希望です』。」 たとえ、どんな絶望的な状況に置かれていたとしても、主には望みがあります。 今日は聖金曜日、次の日曜日は復活祭です。