土の器

宮本牧師のブログ

これはわたしの愛する子

エスは言われました。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。」ここでとどまるように言われているポジションは、「父がわたしを愛されたように」という愛です。また、次の節によれば、「わたしが父の掟を守って、その愛にとどまっているように」と言われているイエスが守った父なる神の掟(言葉)です。 では、実際にイエスが受けた父なる神の愛とは、イエスが守った父なる神の言葉とはどのようなものだったのでしょうか。公生涯の初め、ヨルダン川において洗礼者ヨハネからバプテスマを受けた時のことを思い出してみましょう。マタイによる福音書3章16節以下、「 イエスバプテスマを受けると、すぐに水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、『これは私の愛する子、私の心に適う者』と言う声が、天から聞こえた。」 先月、二人の若者が洗礼を受けました。毎回、感動の洗礼式ですが、洗礼は罪の赦しと神の子とされたしるしとして受けるものです。ではなぜ、罪のない神の独り子であるイエス・キリストは洗礼を受けられたのでしょう。第1に、それは後に従う者の模範となるためでした。第2に、この時、天がイエスに向かって開かれ、神の霊が鳩のように降り、天から父なる神の声が聞こえています。つまり、これから始まるイエスの宣教活動とは、父、子、聖霊、三位一体なる神の働きであることが明らかにされたと言うことです。さらに、神の子は、神の声を聞いて、神の言葉によって生きるということが、ここに教えられています。 マタイの福音書によれば、この直後、イエスは荒野に導かれ、サタンの誘惑に遭います。そのサタンとの対話の中で、イエスが最初に語った言葉は、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」という申命記8章の引用でした。これが新約聖書においてイエスが最初に発した言葉です。イエス自身、父なる神の口から出る言葉によって生きていたのです。イエスバプテスマを受けた時に聞いた天からの声はこうです。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。」 公生涯の初め、まだ一つの奇跡も説教もしていません。十字架もまだ先の話しなのに、「これは私の愛する子」と言ってくださる神の口から出た言葉によってイエスは生かされていたのです。イエスは、ただこの言葉を信じ、この言葉のうちにとどまり続けたのです。そして、私たちを招かれます。「父が私を愛されたのと〔ちょうど〕同じように私はあなたたちを愛した。・・・<私とともに父の愛のうちにとどまりなさい>。」「これはわたしの愛する子。」この愛を知って、ヨハネは叫びました。「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜ったことかよく考えてみなさい。わたしたちはすでに神の子なのである」と。 今年も教会のメンバーによるチェンバロコンサートツアーが始まります。今年は11ヶ所の教会を回ってくださることになっていますが、次の日曜日は仙台で最初のコンサートが開かれます。お近くの方、ぜひお出かけください。