土の器

宮本牧師のブログ

御名をあがめた人

「世から選び出してわたしに与えてくださった人々に、わたしは御名を現しました。」 御名を現すこと、これがイエスの仕事でした。聖書の中で、神の名は、神の本質、神の存在そのものをを示します。ですから、第一義的に、「御名を現しました」とは、目に見えない神の存在と栄光をだれの目にも見えるように映し出したということです。さらに、もう一つの意味は、イエスが実際に神の名を名乗って、神の現存とその力を現されたということです。 ヨハネほど御名をあがめた人はほかにいません。聖書の中で明らかにされている神の12の御名の内、8つはヨハネが記したものです。それは、ヨハネの心という畑に、イエスが蒔かれた神の種でした。 ヨハネ福音書1章1節、「言は神なり。」「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。」「この言に命があった。」「言は神なり。」 ヨハネ福音書6章35節、「われは命のパンなり。」「主よ、私たちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。」イエスは言われた。「命を与えるのは霊である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。」「見よ、わたしは天から降って来た命のパンである。」「われは命のパンなり。」 ヨハネ福音書8章12節、「われは世の光なり。」「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩まず、命の光を持つ。」光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」「われは世の光なり。」 ヨハネ福音書11章25節、「われは復活なり、命なり。」「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」「もし信じるなら、神の栄光を見る。」「われは復活なり、命なり。」 ヨハネ福音書14章6節、「われは道なり、真理なり、命なり。」「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」「わたしは道であり、真理であり、命である。」「わたしを見た者は、父を見たのだ。」「わたしと父とは一つである。」「われは道なり、真理なり、命なり。」 ヨハネの手紙一4章16節、「神は愛なり。」「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。」「わたしたちは真実な方の内に、その御子イエス・キリストの内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です。」「神は愛なり。」 ヨハネは黙示録においても、御名をあがめています。黙示録22章13節、「われは始めなり、終わりなり。」「神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである。』」「われは始めなり、終わりなり。」 同じく黙示録22章16節、「われは輝ける明けの明星なり。」「事はすでに成就した。」「もはや、呪われるものは何一つない。・・・神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎみる。彼らの額には、神の名が記されている。」「見よ、わたしはすぐに来る。わたしはダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。」「われは輝ける明けの明星なり。」