互いに愛し合うならば
「子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく。」
「子たちよ。」ギリシャ語の「テクニア」という言葉は、小さな子どもという意味ですが、愛情のこもった親しい呼びかけです。ヨハネの手紙には何度も使われている言葉ですが、福音書ではここにしか使われていません。年老いた使徒ヨハネは、自分の所に集まって来る弟子たちに「子たちよ」と語りかけましたが、それは、この夜イエスから聞いたこの言葉のコピーだったのかも知れません。
「いましばらく、私はあなたと共にいる」という言葉は、このあと14章以降では、「しばらくすると私を見なくなる」という言葉に置き換えられていきます。つまりこれから語られることは、イエスがいなくなった後のことなのです。それは、イエスの十字架と復活、そして昇天、さらには聖霊の派遣という、まったく新しい局面についての教えでした。十字架と復活を通して、イエスが天に上げられた後、この地上に存在する教会のあり方が「新しい掟」として語られています。ここにキリストの体である教会のあるべき姿を見せられます。イエスが愛したように、互いに愛し合うのです。
大槻先生の言葉です。「真実の教会はキリストの神秘体であり、キリストのいのち、本性、愛に浸透された、愛の神秘体である。聖イエス会はこの理想に生きる共同体であらねばならない。」
イエスの言葉が響きます。「互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」
愛なる聖霊来てください。「聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれている。」
今日から京都の聖会です。