土の器

宮本牧師のブログ

聖地巡礼

神殿奉献記念祭は、ユダヤの三大祭のように、エルサレム巡礼が義務づけられた祭りではなく、自分の住む町で祝えばよい祭でしたが、十字架の前年、イエスがこの時期にもエルサレムに留まっていたことを、ヨハネは注意深く記録しています。神殿には、境内を囲む屋根付きのポーチ(回廊)があって、東に面したポーチが「ソロモンの回廊」と呼ばれていました。イエスがそこを歩いていると、ユダヤの宗教指導者たちがイエスを取り囲んで言いました。「いつまで、私たちに気をもませるのか。もし(あなたが)メシアなら、はっきりそう言いなさい。」「お前は何者だ、君の名は?」と。 ところで、このページは、ヨハネによる福音書のちょうど真ん中辺りになりますが、イエスはこの箇所で決定的なひと言を語られます。「わたしと父とは一つである」と。「メシアなら、はっきりそう言いなさい」というユダヤ人の問いに、イエスはご自分がメシアあること、それと同時にそれ以上のものであると答えたのです。これはヨハネ福音書を貫く、ヨハネ福音書の中心です。 先週、今年の新語・流行語が発表され、「神ってる」という言葉が大賞に選ばれましたが、トップテンに選ばれた言葉の中に、「聖地巡礼」というのがありました。何のことかと思ったら、映画やテレビ、ゲームなど、物語の舞台となった場所を訪れることが「聖地巡礼」と呼ばれ、特に今年大ヒットとなった『君の名は。』というアニメ映画の舞台が聖地と呼ばれ、社会現象になったということです。飛騨高山や名古屋駅も、映画に出て来る聖地らしいです。 だれもが「君の名は」と、問いかけなければならない、人間が罪によって忘れてしまった名があるのをご存知ですか。それは神の名です。絶対に忘れてはいけなかった神の名を、人は忘れてしまいました。誰だ、誰だ、「君の名は」と暗闇の中でもがき続けているのが私たちなのです。だから、聖書の神は中でくり返しくり返し、ご自身の名を私たちに語り続けておられるのです。もう二度と、私たちが神の名を忘れてしまうことがないように。「われわれの魂の慕うものは、あなたの名」(イザヤ26:8)です。「命を得させ、御名を呼ばせてください。」 この名を呼ぶとき、私たちの心にも「わたしと父とは一つである」と言われるキリストは生まれ、私たちの心も新しい聖地となるでしょう。 次の日曜日は、アドベントの第3週目の礼拝です。ぜひお出かけください。