土の器

宮本牧師のブログ

シングルマザー

聖書は神のことを「父なる神」、イエス・キリスを「子なる神」と呼びます。では母は? 聖書が明言しているわけではありませんが、聖霊なる神の優しさは母のようだと言えるかも知れません。また教会こそは、キリストの花嫁と呼ばれるゆえに、母のような役割を果たすのではないかと思います。聖アウガスチヌスも「教会を母としないクリスチャンは、神を父と呼ぶことはできない」と言っています。母の日に、母なる教会に感謝するというのも良いのではないでしょうか。 さて、ヨハネによる福音書のシリーズも昨日から7章に。7章は仮庵祭というユダヤの祭りが舞台になります。7章の構成はシンプルです。仮庵祭は1週間続きましたが、最初の部分は、祭りが近づいた時のことが、その後、仮庵祭の中頃のことが、そして有名な仮庵祭の終わりの日の出来事が順に記されています。 最初の部分でチェックしておきたいのは、「わたしの時」という言葉ですが、この言葉は、すでに2章のカナの婚礼の奇跡の場面でも、母マリアに対して語られた言葉であり、この後も、何度か用いられるヨハネによる福音書を解く鍵の一つです。イエスはまるで時刻表をお持ちかのようにその時を意識していました。そして、この時を巡って、仮庵祭が近づいた頃、イエスとイエスの兄弟たちとが言い争っている様子が描かれています。 イエスの兄弟については、マルコ福音書6章にこう書かれています。イエスがナザレの会堂で教えている姿に驚いた地元の人たちが言います。「6:2 この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。6:3 この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか」と。ここから、イエスには四人の兄弟(最初に名が挙げられているヤコブは、ヤコブの手紙を書いたヤコブで、後に初代教会の重鎮になる人物です)と、少なくとも二人以上の姉妹がいたことがわかります。だとするとマリアにはイエスを含め7人の子どもがいたことになります。マリアの処女性を重んじる立場では、この兄弟は従兄弟であるとか、異母兄弟であるとか説明されるわけですが、聖書はこれ以上語りませんので、詳しいことはわかりません。 世界中の女性にとって幼な子を抱く聖母マリアの姿は憧れの的です。最も美しく麗しく、最も神に祝福された女性のように思われています。しかし、実はマリアほど多くの試練、苦しみ、涙を経験しなければならなかった母は他にいないのです。イエスが12歳で両親と共に神殿を詣でた記事を最後に父ヨセフの姿は聖書から消えます。重い病か突然の事故で亡くなったのであろうと言われていますが、多くの子を抱えて、突然シングルマザーとなったマリアは、どれ程苦労したことでしょうか。今でもそうですが、当時若い母が7人の子どもを育てると言うことは普通では考えられないことでした。 再婚しなかったマリアは家族をどのように養ったのでしょう。これは素朴な疑問ですが、イエスはこの地上で33年半の生涯を歩まれます。でも、なぜ最後の3年半しか神の御子、キリストとしての公の生涯を歩まれなかったのでしょうか。もっと早く活動していれば、もっと多くの教えをし、もっと多くの奇跡を行い、もっと多くの人に神の国を伝え、歴史に大きな影響を与えることができたのではないでしょうか。それは当然「わたしの時」という問題からですが、別の理由があったとするなら、母マリアを助け支え、ヨセフに代わって家族を養うために、公生涯に入ることさえ遅らせて、母のために30年も待たれたと考えるのは人間的すぎるでしょうか。しかし、十字架上で語られた言葉を思えば、それも理由であったと私には思えるのです。 今週も大切なことを大切に。