土の器

宮本牧師のブログ

夜がある

エスユダヤ人の指導者ニコデモとの深夜の対談は、ヨハネ独自の記事で、ここにもヨハネ福音書の特徴である個人的な語らい、そして噛み合わない対話が見られます。 ユダヤの最高議の議員であり、律法の教師でもあったニコデモが「夜」ひそかにイエスのもとを訪れました。それが人目を憚ってのことだったのか、それとも誰にも邪魔をされないイエスとの静かな会見を求めてのことであったのか、詳しいことはわかりませんが、彼が自分の心にどうしようもない「夜」を持っていたことは確かなようです。人間にはだれにも「夜」があります。その夜について考え出したら、眠れなくなる夜です。いいえ、眠れないというよりは、そのまま眠ってはいけない、その暗闇を明るくするために、本気で光を求めなければならない夜があるのです。 イエスはニコデモの夜を明るくするために言われました。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」「はっきり言っておく。」これもヨハネ福音書の特徴的な言い回しで、ギリシャ語の原文を見ると、「アーメン、アーメン」と念を押した表現になっています。イエスが本気で語る言葉を、本気で聞きなさいということです。「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」聖アウグスチヌスの解説は見事です。「生まれることには二種類あるが、ニコデモはその一つのみを知り、他の一つを知らなかった。すなわち肉から生まれることのみを知り、霊によって生まれることは知らなかったのだ。ニコデモは、アダムとエバによるただ一つの出生のみを知り、神から生まれることは未だ知らなかったのだ」と。 眠られぬ夜をいたずらにごまかさないで、もう遅過ぎるとか、まだ早過ぎるとか言わないで、あなたの心にもある夜に気が付いたなら、キリストのもとに急ぎましょう。 今日は午前中、半田市での集まり、夜は市内南区での集まりが持たれます。 牧師は明日、明後日と聖イエス会小山教会(静岡県駿東郡)で、宣教セミナーと聖会のご奉仕です。