土の器

宮本牧師のブログ

たまたま

ルツが落ち穂を拾うために足を踏み入れた畑は、はからずもボアズという人の畑でした。ここから物語が急展開して行きます。ルツの人生にも、好機が意外な姿で好機が訪れました。「たまたま(はからずも)」、ヘブライ語のミクレーという言葉は、旧約聖書に10回使われています。ルツ記はここだけですが、はじめに引用したコヘレトの言葉に何度もくり返し使われます。人の目には偶然、たまたまと思えることも、実はその背後に神の見えない御手があることを意識させるのが、このミクレーという言葉です。 「たまたま」、しかし、そこに「ボアズがベツレヘムからやって来て」と続くのです。畑の所有者であるボアズという人は、ナオミの夫エリメレクの親戚に当たる人で、その村の有力者でした。そして、ユダヤの律法によると、ルツと再婚する権利を持っていた親類だったのです。この後、「私たちの家を絶やさぬようにする責任のある人」とナオミがボアズのことを語っていますが、それは「買い戻す人」「贖う人」という意味で、ルツ記の鍵となる言葉です。 二人は落ち穂拾いの畑で出会い、やがて結婚に導かれます。そして、二人の結婚が、世界の歴史を変えて行きます。二人にオベデという息子が誕生します。そしてオベデからエッサイが生まれ、エッサイからあのダビデ王が生まれるのです。 さらにその子どもたちの中から、ついにイエス・キリストが生まれるのです。ルツは、落ち穂拾いの畑で、はからずもイエス・キリスト系図にその名を留めるという、破格の恵みという落ち穂を拾ったのです。 今日は午前中、松阪での聖書講座です。