土の器

宮本牧師のブログ

41日目の朝

私たちは人生のエラの谷でいかに戦えばよいのでしょうか。ダビデのように、ゴリアテという巨大な問題以上に、心を神に向けることです。エラの谷でのダビデの行動を見ると、このことが理解できます。エラの谷に来て、状況を見聞きしたダビデは、見聞きしたことに影響されることを拒むかのように、即行動しています。ゴリアテと戦うことをサウル王に申し出、石を拾い、主の勝利を宣言し、「ダビデは急ぎ・・・走った」と書かれています。そして、石を放つとゴリアテは倒れ、イスラエルは勝利しました。このように41日目の朝、イスラエルはもうゴリアテに悩まされることはなかったのです。 ダビデが見ていたのは、ゴリアテのサイズではありませんでした。神のサイズでした。聖書を見る限り、ダビデゴリアテを観察してコメントしている箇所は26節と36節の2箇所だけです。しかし、神について語っているところは9箇所もあるのです。私たちは人生のエラの谷に立つとき、問題や試練の4倍の時間やエネルギー、考えを主に注いでいるでしょうか。ダビデゴリアテではなく、ゴリアテよりももっと大きな方を見ていたのです。「ダビデはイエスについてこう言っています。『わたしは、いつも目の前に主を見ていた』」(使徒2の25)と。だからこう言うことが出来たのです。「お前は剣や槍や投げ槍で私に向かって来るが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう」と。 明日は礼拝、御言葉を待ち望みつつ。