土の器

宮本牧師のブログ

何を見、何を聞くか

私たちの現実は、人生のエラの谷でゴリアテの大きさばかりを見てしまうことです。武具で身を固め、仁王立ちしたゴリアテは、イスラエルの戦列に向かってこう叫びます。「このペリシテ人は続けて言った。『今日、私はイスラエルの戦列に挑戦する。相手を一人出せ。一騎打ちだ。』」「サウルとイスラエルの全軍は、このペリシテ人の言葉を聞いて恐れおののいた。」「イスラエルの兵は皆、この男を見て後退し、甚だしく恐れた。」このような状況が、朝に夕に、40日間続いたというのです。 こういう言い方はできないでしょうか。サウルとイスラエルの民は、朝に夕に現れるゴリアテの姿を見、その声を聞きながら、40日間、その恐れと不安を育て続けた、と。イスラエル軍はその恐れのために、その場にフリーズし、何の抵抗もできなくなったのです。ゴリアテは、まだ投げ槍一本投げていないのに、恐れは彼らから戦意を奪い、夢や希望さえも踏み潰してしまったのです。 恐れを生じさせることは、サタンの常套手段です。しかし、敵は偽りによって、恐れや不安を私たちの内側に生じさせ、私たちを内側から崩し脅かすことしかできないのであって、私たちをその剣や槍で傷つけることはできないはずなのです。実際、ゴリアテは少年ダビデに指一本触れることなく、地に倒れたではありませんか。 では、サウル王とイスラエルの兵たちは、どこからこの恐れに支配されてしまったのでしょう。「言葉を聞いて恐れた」、「この男を見て・・・恐れた」と書かれています。試練の中で、私たちが何を見、何を聞くかという問題です。彼らは神に目を向けず、神の言葉ではなく、ゴリアテを見続け、彼の言葉を聞き続けてしまったのです。そして、ついに恐れに支配されてしまったのです。あなたは今、何を見ていますか? 子どもたちは今日で1学期が終了。夏休みに突入です。