土の器

宮本牧師のブログ

弱いときに強い

ゲッセマネの祈りは教会の祈りです。 パウロのことを考えてみましょう。彼は第三の天にまで引き上げられるという経験をした後、思い上がらないようにと、神から一つのとげを肉体に与えられます。パウロはそれをサタンからの使いと言いますが、おそらく彼の肉体をむしばんだ病気のことでしょう。パウロの持病については、てんかん、眼病、頭痛、慢性的なマラリヤ熱など諸説があります。 パウロは言います。「この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」と。 三度もこれを過ぎ去らせてくださいと祈ったパウロに、ゲッセマネの祈りが重なります。パウロは、この病気(弱点、欠点)さえなければ、もっともっと福音宣教のために自分は働けると思っていたのでしょう。しかし、主の答えは、彼の願いとはちがっていました。「わたしの恵みはあなたに十分である(そのままでよい)。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。」するとパウロは手のひらを返したように、あれほど取り去ってほしいと願った弱さを、「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」と言い出すのです。神の御心を、そのまま受け入れたパウロの雄々しい姿が、またゲッセマネの祈りと重なります。ゲッセマネの祈り、それは教会の祈りなのです。 今週、この礼拝のメッセージに励まされ、力をいただいたという方が多くあり、感謝でした。 今日から京都秋期聖会です。御言葉を待ち望みます。