土の器

宮本牧師のブログ

雰囲気

これは先々週の礼拝で語ったメッセージです。イエスがナザレで受け入れられず、「そこではあまり奇跡をなさらなかった」という言葉について、ウイリアムバークレーの解説を紹介しました。 「ここに大きな教訓がある。礼拝の説教の半分以上は会衆がする、という表現がある。それは、会衆が説教のために雰囲気をつくり出す、という意味である。ある雰囲気は、説教者の言葉が通らない壁となり、また、ある雰囲気は期待にあふれていて、どんな下手な説教でも、人の心を燃えたたせるような力を発揮させる。・・・神を礼拝し、みことばを聞くために集まる者は、真剣な期待を持たなければならない。また、説教する人を見るのではなく、その人を通して語られる聖霊に耳を傾けなければならない。」 大切なことを教えていると思います。私も聴衆の側に席を置くことがありますが、もっと説教に期待して、飢え渇きを持って御言葉を待ち望みたいと思いました。使徒言行録の10章に記録されているコルネリウスの家族の救いはよく知られたところです。コルネリウスはペトロを家に迎えてこう言います。「よくおいでくださいました。今わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです」と。そして、ペトロの説教が始まりますが、ペトロが語りつつある間に、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降ったのです。明日は夏休み最初の礼拝です。主に期待し、御言葉を待ち望みましょう。