土の器

宮本牧師のブログ

ここに水があります

目を閉じると、先日の聖会の光景がよみがえり、感動が込み上げてくる。一人の方が救われるということは、ほんとうに尊いことだと感じる。礼拝で語られた「サマリアリバイバル」というメッセージは、私がまだ信徒時代にも聞いたことがある。あれから20年も経っていると思うが、いまだに忘れられない集会だ。 使徒言行録8の17「ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた」という御言葉の所に来たとき、前の人、隣の人のために手を伸ばして祈ろうと声がかけられた。みんながたお互いのために祈りはじめたとき、神様がすばらしく働いてくださった。今回も同じことが起こった。聖書に書いてある通りに。 聖書には、サマリアで起こったリバイバルが二回記録されている。第一回目は有名なイエスサマリアの婦人との出会いを通して起こったリバイバル。第二回目は使徒言行録の8章に記録されている。このリバイバルのために用いられたのは、信徒伝道者のフィリポだった。聖書によれば、サマリアでの出来事に続いて、フィリポを通してエチオピアの高官が救われている。使徒言行録の8章26節以下をぜひ読んでほしい。最後の部分を少しだけ紹介しよう。 :8:34 宦官はフィリポに言った。「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」 8:35 そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。 8:36 道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」 8:37 フィリポが、「真心から信じておられるなら、差し支えありません」と言うと、宦官は、「イエス・キリストは神の子であると信じます」と答えた。 8:38 そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。 この場面を描いた絵がいくつもあるが、今回、左近牧師がワルシャワの美術館で見たという写真をプレゼントしてくださった。わかりにくいかもしれないが、中央に描かれている老人がフィリポで彼の前に頭を垂れているのがエチオピアの高官だ。水のある場所で、フィリポの手から落ちる水がいいらしい。