土の器

宮本牧師のブログ

その方が来ると

ヨハネ福音書の16章を学び始めましたが、イエスがいなくなると語られた上に、襲いかかるであろう憎しみと迫害の予告を聞き、弟子たちの心は動揺し、悲しみで満たされましたが、イエスはもっと大局を見ておられました。「しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主(ギリシャ語では「パラクレートス」、詳訳聖書によると「慰め主〈助言者、助け主、弁護者、とりなす者、激励者、援助者〉」)おいでになりません。でも、行けば、あなたがたのところに助け主を遣わします。」ここから聖霊の働きについての大切な教えが始まります。
「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。」続く節で、罪、義、裁きについて、それぞれ短い言葉で説明がなされていますが、少し難解な部分です。
聖霊聖霊たる働きとは何でしょう。聖霊は罪を示します。ここで言う罪とは不信仰という罪です。罪とは「的を外す」という言葉ですが、人生の真の目的と目標である神という的を外すことが罪の根です。聖霊はその罪を明らかにし、さらに義を示します。神の義とはイエス・キリストのことです。イエスは十字架と復活、昇天により、父なる神のもとに昇られますが、このイエスを信じることによって、私たちは神の前に義とされるのです。さらに聖霊はさばきについて世の誤りを明らかにします。世の支配者であるサタンは、十字架上でキリストが息を引き取り、墓に葬られたのを見た時、イエスと共に人類の救いという神の救済計画を葬ったと勘違いをしましたが、三日目の朝、神はイエスの復活という最後の一手を打ち、この勝負は神の大逆転勝ちで終わったのです。聖書は言います。「『死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。』私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を賜る神に感謝しよう」と。この言葉がある限り、「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。