土の器

宮本牧師のブログ

わたしの名を置く

エスは言われました。「わたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは、何でもそれをしてあげます。父が子によって栄光をお受けになるためです。」もちろん、「アラジンと魔法のランプ」のように、自分の願いが叶うおまじないという意味ではありません。「父なる神がイエス・キリストによって栄光を受けるためです」と書かれているように、私たちの願いが神の願いと一つになることが前提です。私たちを祝福することをいつも願っておられる神の願いを、私たちの願いとしなければなりません。
では「わたしの名によって求めることは」とはどう意味なのでしょうか。旧約聖書民数記6章に、神の願いの実現を祈る大祭司の祈りが記されています。「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。」
この祈りの言葉の後に、この祈りが叶えられる条件が記されています。「アロンとその子らが、わたしの名をイスラエルの子らの上に置くなら、わたしが彼らを祝福する。」「わたしの名を唱えるなら」と訳している聖書もあるのですが、「わたしの名を置く」というのが、神の願いを実現する条件となっているのです。
ここで「置く」と訳されている言葉が、聖書の中で最初に使われているのは創世記2章です。聖書を学ぶ上で、「law of first mention(最初の言及の法則)」というのがあって、その言葉が最初に使われているところから意味を汲み取ることが大切というものです。創世記2章8節です。「神である主は東の方エデンに園を設け、そこにご自分が形造った人を置かれた。」これは天地創造を終えた神である主が、地のちりで人を造り、エデンの園に住まわせる場面です。神はご自分のかたちに造られたアダムを祝福されました。そこに使われている「置く」という言葉が、民数記では「名を置く」という文章で使われています。名とは神ご自身を指し、「『私は有る』という者のすべて」ということです。つまり、名を置くとは、神ご自身のすべてを置く、神がそこに住まわれることなのです。あなたが「わたしの名によって求めることは」、神の祝福、守り、恵み、平安は、神の名が置かれ、神がそこに住まわれることによって実現するのです。