土の器

宮本牧師のブログ

折り目正しくたたんであった

イエスが十字架上で息を引き取られ、葬られて三日目、週の初めの日、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリアがイエスの墓にやって来ました。彼女は、墓の入口を塞いでいた石が動かされているのを見て、シモン・ペテロと、イエスが愛されたもう一人の弟子(ヨハネ)のところへ走って行って、「だれかが墓から主を取って行きました」と伝えます。そこでペテロとヨハネも、イエスが葬られたアリマタヤのヨセフの墓へ走って行きます。

ヨハネの福音書には、行って見て走って、走って見て帰ったという、復活の朝の慌ただしい弟子たちの様子が、彼らの困惑と驚きと共に描かれています。ヨハネが早く着きました。土地勘があったからでしょうか。若かったからでしょうか。ある意味でどうでもいい情報ですが、ヨハネはあの朝の出来事を昨日のことのように思い出しながら、リアルに記しているのです。

遅れて着いたペテロが先に墓に入りますが、彼は「亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた布は亜麻布と一緒にはなく、離れたところに丸めてあった」と記されています。「亜麻布」とは、白い布を細く裂いた包帯のようなもので、これで死体を巻きました。それとは別の「頭を包んでいた覆い」とは、死者の口が開かないように、頭から顎までを包む、幅の広い布地で、タオルか風呂敷のようなものであったと思われます。それが「丸めてあった」と訳されていますが、ある聖書では、「折り目正しくたたんであった」と訳しました。きれいにたたんで置いてあったのです。

ペトロがその状況をまだ理解できないでいる時、先に墓に着いたもう一人の弟子(ヨハネ)も入って来て、「見て、信じた」と書かれています。まだすべてが理解できたわけではありませんが、ヨハネは信じたのです。空になった墓も、そこに残された亜麻布と頭を包んでいた布も、それはイエスの復活を証ししていたのです。

メシアとして公の働きを始めるまで、イエスの職業は、父ヨセフと同じ大工でした。大工と言っても家具を作るのが主な仕事であったようですが、たいてい、依頼主の家に行って作業をしたそうです。そして、完成すると出来上がった家具の上に、布を二つ折り、もう二つ折り、つまり四つ折りにして置いたのです。家の人が仕事から帰って来て、たたまれた布が置いてあれば、それは仕事が完了したというサインでした。もうおわかりでしょうか。墓に、ていねいにたたまれていた布とは、イエスからのメッセージだったのです。

ヨハネの福音書19章30節、「完了した(成し遂げられた)。」このイースターの朝、聖書の記事が、私たちにはっきりと伝えているメッセージは、イエス・キリストの十字架と復活によって、私たちの罪はゆるされ、永遠のいのちが与えられるという救いの御業はすでに完了したということなのです。