土の器

宮本牧師のブログ

十字架の重さ

ドイツの最南部、オーストリアとの国境に連なるドイツアルプスの麓で、四方を山々に囲まれたオーバーアマガウ村は、人口5000人ほどの小さい村ですが、1634年の初演後、1680年からは10年ごとに上演されている「キリストの受難劇」で有名になった村です。今年は、コロナ禍で2年延期されていた42回目の公演が行われることになっています。休憩をはさんで6時間の舞台は、5月から10月まで、およそ100回演じられます。

受難劇の始まりは、1633年に遡ります。戦争に荒廃した村にペストが流行し、多くの村人の命が奪われていきました。万策尽きた村人は、神に嘆願し、村を救ってくださったら、10年ごとに受難劇をささげると約束しました。すると、その時から、ペストによる死者はなくなり、ペストにかかっていた病人も死を免れたと村の記録には記されているそうです。村人は神との約束を守り、翌年1634年から村をあげての受難劇をささげるようになったということです。

 アメリカのビジネスマンが、オーバーアマガウ舞台裏に入れてもらったそうです。そして劇でキリストが担ぐ十字架を自分も担ごうとしたのですが、そのあまりの重さに驚きました。キリストを演じた村人は彼に言いました。「もし私がキリストの十字架のほんとうの重さを知らなければ、私は決してキリストを演じることはできません」と。 キリストが実際に担いだのは十字架の横木だけであったと考えられていますが、その重さは50キロを越えたそうです。イエス・キリストが背負われた十字架、その重さがわかるでしょうか。もし私たちがキリストの十字架のほんとうの重さを知らなければ、私たちは決してキリストを演じることができないからです。 

エスの逮捕から裁判まで、特にピラトとのやり取りを丁寧に描いたヨハネでしたが、十字架の道行きは意外にあっさりしています。イエスがピラトの官邸を出てゴルゴタと呼ばれる刑場に向かう道すがら、エルサレムの住民と過越祭に来ていた巡礼者たちは、前日とは別人のようになっているイエスの姿に驚き、物見高い人垣を作っていました。イエスは十字架の横木を自ら背負い、最初の数百メートルは、よろけながらも何とか歩くことができましたが、上り坂に差し掛かったときには、どうにも動けなくなってしまいました。 ヨハネ以外の福音書には、ローマ兵がそばに立っていたシモンという名のキレネ人に、イエスの十字架を無理やり押しつけ、ゴルゴタの丘まで運ばせましたことが記録されています。

これがヴィア・ドロローサで起こった事実ですが、ヨハネはシモンのことには一切触れず、頑固なまでに主張します。「イエスは、自ら十字架を背負い、・・・ゴルゴタという所へ向かわれた」と。ヨハネはシモンのこともよく知っていました。すぐそばで彼が十字架を背負うのを見ていたのです。それでもです。たとえイエスが力尽き、イエスの代わりにシモンが十字架を背負ったとしても、イエスが私たちのために重い十字架を自ら背負われた事実に変わりはありません。また、シモンの前を歩まれるイエスの背中には、私たちが負うべき十字架が確かに背負わされていたのです。シモンがイエスの十字架を背負ったのではなく、イエスがシモンの十字架を背負っていたのです。これこそ十字架の神秘です。

あの運命の日、ヴィア・ドロローサでの出来事が、シモンの心を永遠にキリストに結びつけたように、私たちも私たちに与えられる十字架を背負わせていただきましょう。だれ一人誇ることのできるものはいません。ただ従いましょう。「あなたのあとについて、私を行かせてください。」