土の器

宮本牧師のブログ

神の幕屋が人の間にあって

仮庵の祭りの中頃、神殿で教えられたイエスと宗教指導者たちとのやり取りを見聞きしていたエルサレムの人々が話し始めました。エルサレムの人々は、神殿で公然と教えているイエスを宗教指導者たちが捕らえることができないのを見て、「イエスはメシアだと認められたのか。いやいや、私たちはこの人がどこの出身か知っているではないか。この人がメシアであるはずがないと」と言いました。するとイエスが大声でお答えになります。確かに彼らは、イエスの出身地を知っていました。しかし、それは人間としてのルーツであって、神の御子としてのそれではなかったのです。

エスは言われました。「わたしをお遣わしになった方は真実であるが、あなたたちはそれを知らない。わたしはその方を知っている。わたしはその方のもとから来た者であり、その方がわたしをお遣わしなったのである」と。

エスの自覚はご自分が神から遣わされた者であり、その方のもとから来た者ということです。これはヨハネがこれまでも事あるごとに記した内容でした。新約聖書で仮庵の祭りに言及しているのは、ヨハネだけです。ヨハネ福音書の初めに、「言(キリスト)は肉となり私たちの間に宿られた」と証ししたとき、宿られたという表現に、彼は「幕屋を張る、仮庵する」という言葉を使いました。そして、黙示録においても、新天新地の栄光を語るのに、「見よ、神の幕屋(仮庵)が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる」と語ります。ヨハネはその栄光を見たのです。「それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちて」いました。ですから、ヨハネ福音書全体を通して、イエス・キリストこそ、神から遣わされ方、私たちの間に幕屋を張り、仮庵された方であることを伝えようとしているのです。

 

10日の日曜日は、しゅろの聖日で、その日から受難週に入ります。そして、17日の礼拝が今年のイースターです。