土の器

宮本牧師のブログ

自分の存在意義と役割

十字架の前夜、イエスは、未来信じる者たちのためにも祈られました。それはイエスを信じるすべての者が一つになるための祈りでした。パウロが書いたエフェソの信徒への手紙によれば、一つになるということが次のように表現されています。1章10節、詳訳聖書で「すべてのものを、すなわち、天にあるものも地にあるものも、キリストにおいて一つにする〈キリストにおいて完成する〉ために、時が熟するのを〈世々の頂点を〉〔計画されたのです〕。」 「キリストにおいて一つにする」とは、もちろん教会の一致を願う祈りですが、究極的には「キリストにおいて完成する」との祈りだったのです。聖書全体がここにかかっているとするなら、アダムの罪によって、エデンの園を追放され、神と共にいることのできなくなった人類が、今やキリストの十字架によって、再び一つにされるという壮大な神の救いの計画が、キリストにおいて完成するという意味です。 パウロは、キリストと教会との関係を様々な比喩によって教えました。教会は、キリストの花嫁、神の家族、神の神殿です。そう教えるパウロが、更にこだわりを持って語るのが、教会はキリストを頭とするキリストの体というメッセージです。 パウロはその時代、小アジアやヨーロッパ各地に広がっていた教会に手紙を書き送りましたが、それは時代を越えて、今も私たちに届けられています。パウロから私たちの教会へのメッセージを聞いてください。 ローマの信徒への手紙12章5節、「私たちが話している体とは、選ばれた人々からなるキリストの体のことです。私たちはそれぞれ、自分の存在意義と役割を、キリストの体との関係の中で発見するのです。」 コリントの信徒への手紙一の12章にはキリストの体についての詳細が語られています。21節のメッセージバイブルの訳はユニークです。「目が手に向かって、『どこにでも行ってくれ。もうお前は必要ない』と言っている姿を想像できるでしょうか。あるいは、頭が足に向かって、『業務縮小につき、君を解雇する』と言うでしょうか。」 27節はリビングバイブルで、「私は次のことを言いたいのです。すなわち、あなたがたは共に、キリストという一つの体であり、一人一人がなくてはならない部分であるということです。」 同じくコリントの信徒への手紙一の1章10節、「皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。」そして、1章の最後にはこうあります。「キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。」キリストにおいて完成する! 今週も大切なことを大切に。