土の器

宮本牧師のブログ

ワレラノムネ アナタノムネト オナジ

先月、ユネスコから、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を世界遺産に登録するという勧告が出され話題になりました。250年に渡る禁教政策の中で、潜伏キリシタンの生き方が評価されたということです。この歴史的な「信徒発見」の舞台となるのが長崎の大浦天主堂です。黒船の来航によって、開国が迫られる中、幕府がフランスとの国交を結んだことによって、数名の宣教師が日本に入ってきました。それはまだ大政奉還がなされる前、キリシタン禁令の時代です。秀吉のバテレン追放令から280年、家康の禁教令から250年の月日が流れていました。 今年の大河ドラマ西郷隆盛西郷どん)、そろそろ坂本龍馬も登場してくるようですが、彼らが活躍した時代のことです。龍馬が貿易商社の亀山社中(のちの海援隊)を設立したのが1865年、その同じ年の2月にプチジャン神父が中心となって、亀山社中のすぐそばに大浦天主堂(日本26聖殉教者天主堂)が献堂されました。天主堂とは、カトリックの聖堂を中国風に呼んだもので、異国風の建物に長崎の人々は目を奪われ、当時の人々はそれをフランス寺と呼びました。 教会を建てるにあたって プチジャン神父には一つの願いがありました。多くの殉教者の血が流された長崎にはきっと信者の種が残っているにちがいない、教会ができれば、きっとすぐにでも名乗り出てくるだろうと期待していたのです。ところが献堂式の日にはだれも姿を見せませんでした。 1ヶ月が過ぎた3月17日の昼下がり、教会の前に10数名の男女の農民がやってきました。プチジャン神父は、ただ好奇心で教会を見物に来た人とは何か違うものがあると感じ、彼らを天主堂の中へと導き入れました。彼らは物珍しげに、きょろきょろしながら天主堂の中に入りました。そして聖堂の中にも窓の外にも、役人らしい人影がいないのを確認すると、ひとり婦人が胸に手を当てて神父にこうささやきます。「ワレラノムネ アナタノムネトオナジ(私たちはみな、あなたさまと同じ心でございます)」。この言葉を耳にした時の プチジャン神父の驚きと喜びはいかばかりだったでしょう。このとき250年間地下に潜伏していた日本のキリシタンたちが復活したのです。 250年7代にも渡る、長く厳しい禁教下で、その信仰は親から子へ、子から孫へと密かに、しかし確かに受け継がれ、そのともし火は消されることなく、灯され続けていたのです。この驚くべき「信徒発見」、潜伏キリシタンの信仰が、この度、世界遺産に登録されようとしているというのです。信仰とは、永遠の命とは、それほど尊いものなのです。 イエスは言われます。「たとえ、全世界をもうけても、永遠のいのちを失ってしまったら、何の得になるでしょう。いったい、永遠のいのちほど価値のあるものが、ほかにあるでしょうか。」「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命をえるためである。」