土の器

宮本牧師のブログ

友と呼ぶ

エスはぶどうの木の譬えによって語られた弟子たちとの新しい愛の関係を、次に弟子たちを「友」と呼ぶことによって、さらに発展させ深めていかれます。「わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているのか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである」と。 「わたしの命じることを行う」とは、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し愛なさい。これがわたしの掟である」と命じられていることを行うことです。「互いに愛し合う」ことについては、イエスが弟子たちの足を洗われた洗足の出来事に続いて、すでに教えられていた「新しい掟」と呼ばれる内容です。13章34節、「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」 「新しい」と言われていますが、これは旧約の律法のすべてを集約した発想、また視点の新しさです。ある時、律法の専門家がイエスに尋ねました。「律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」するとイエスは、「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は(つまり旧約聖書は)この二つの掟に基づいている」とお答えになりました。神を愛し、神に愛されている自分を愛し、その愛で他者を愛する、三つの愛です。イエスは十字架の死を目前にして、この三つの愛を集約し、「新しい掟」として語られたのです。 ルカ福音書を見ると、「どの掟が最も重要か」という発題が、「何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるか」という言葉で置き換えられています。「隣人を自分のように愛しなさい」、これを実行せよと言われた律法の専門家はさらに尋ねます。「わたしの隣人(友)とは誰ですか。」そこでイエスは、「善きサマリア人」の譬えを語り、彼に聞き返しました。「だれが追いはぎに襲われた人の隣人(友)になったと思うか」と。「あなたが、追いはぎに襲われ、傷つき倒れている旅人であることに気がついたなら、その時、ほんとうの隣人が、真実の友が誰であるかわかるようになる」ということです。あなたはもうあなたを友と呼んでくださる善きサマリア人と出会いましたか? 今週も大切なことを大切に。